1987-07-03 第108回国会 参議院 決算委員会 閉会後第7号
また、これは昨年のことでございますが、英国国際問題研究所のジェームス・エバリー氏が東京で講演をしております。その講演の内容は、米国は、財政貿易赤字の拡大で近い将来強力な保護貿易政策をとることは必至であるとの観測を述べております。 これらの動きを総理はどのように受けとめて対処をしていかれるかという点が第一点でございます。
また、これは昨年のことでございますが、英国国際問題研究所のジェームス・エバリー氏が東京で講演をしております。その講演の内容は、米国は、財政貿易赤字の拡大で近い将来強力な保護貿易政策をとることは必至であるとの観測を述べております。 これらの動きを総理はどのように受けとめて対処をしていかれるかという点が第一点でございます。
ずっと幾つかの通商交渉的なものがありますけれども、鶴見・エバリー会談とかずうっと詰められてくるわけです。いよいよ時期が来たということで日米双方の、たとえばグラマン社なり日商なりが動く時期なんです。だから、国産化方針だったからということだけでは説明が足りないのでありまして、そういう方針があったとしても、それをまた覆すためにどうするかが商売人のいわば重大な関心事だったわけであります。
○土井委員 そこで申し上げますが、いま、この二月六日の日のアメリカ局長発言に次いで、さらに具体的に外務大臣がお述べになったこの点は、一九七三年二月のワシントンにおける鶴見・エバリー会談、これは実は二月九日に会ったことをここでは外務大臣おっしゃっておりますが、その次にもう一回、五月の七日という日に会ったのには何ら触れていらっしゃいません。
同じそのときの園田外務大臣の御発言の中に「いま報告いたしましたハワイ会談の後、七三年の二月、ハワイ会談から半年くらい経過した後でありますが、ここでエバリー米通商交渉特別代表と鶴見外務審議官との会談において、日米貿易の不均衡を是正するためという観点から兵器の購入について増額するよう要請されております。」云々という部分がございます。
そうすると、エバリー・牛場会談にグリーンさんが出てくるということになると、チータム氏が言っているとおりに、サンクレメンテ委員会で、それはグリーンさんが主宰すると言ったのは当たっていないと思いますけれども、E2Cの話し合いがあったということに間違いなくなる。そうでしょう。おわかりになりますな。
で、これは一月十二日のエバリー・牛場会談等に引き継がれております。これはもちろん一月七日から始めましたから、サンクレメンテ会談の中身です、エバリー・牛場会談というのは。先ほどのチータム氏の言っていること、取り消して後から言っているチャーチ委員会におけるやりとり、このエバリー・牛場会談でE2Cについてやりとりをされた可能性が非常に強い。
残念ながら鶴見さんお亡くなりになっておりますからそのことを問う手だてはないのでありますけれども、後引き続いてエバリー公使との間にも日米貿易の不均衡是正として問題が発展をしておるわけであります。そういたしますと、そうした外交交渉における日本政府の腹芸的な、テーブルに着いて話し合ったから記録になっておる、それ以外は知りませんでした、こういう形で進められるのではいけないと思います。
下って、エバリーの来日、あるいはまたインガソル・鶴見会談等々、あの一連の経緯をずっと見てまいりまして、E2Cに関しましてはいま申しましたようなところに発端があったということが一点。そういう中で、前段申しましたような日商岩井とハリー・カーン氏の密約の存在というような事実関係。
いま報告いたしましたハワイ会談の後、七三年の二月、ハワイ会談から半年くらい経過した後でありますが、ここでエバリー米通商交渉特別代表と鶴見外務審議官との会談において、日米貿易の不均衡を是正するためという観点から兵器の購入について増額するよう要請されております。これに対して、鶴見外務審議官からは、兵器を国産にするか外国から買い付けるかはわが国自体の政策決定の問題であると応酬したことは判明しております。
運輸大臣も御出席だったと思いますが、あのロッキード事件の問題になった当時、箱根会談、エバリー、今度はストラウスですね。 〔増田委員長代理退席、委員長着席〕 そうして田中総理から福田総理、丹羽運輸大臣でしたか佐々木運輸大臣でしたか、福永運輸大臣と、ずっと名前を入れかえますと、あの当時といまと似ているのじゃないか。ドル減らしだから飛行機を買いなさい。
四十七年九月一日のハワイ会談で緊急輸入品目に大型民間航空機を入れた経緯について、あるいは四十七年七月二十九日の当時の中曽根通産大臣とエバリー氏との会談についてその内容、あるいはPXLについて通産省の方針や、あるいは四十七年十月九日の国防会議においてPXLが白紙還元された経過などについて、当時通産省の通商局長という立場でその政策決定に関与してきた人物でありますし、とりわけ先日の中曽根証言の中で、中曽根通産大臣
エバリー代表は、あのとき私に表敬に参ってきたのであります。会談とかあるいは商議するというものではございません。したがって、議事録とかそういうものもございません。たしか通商局長以下が立ち会っておったと思います。
○大内委員 そうしますと、七月の二十九日の中曽根・エバリー会談及びそれに続く田中総理とエバリー会談、いずれにおいても航空機の話は一切出てないのでしょうか。田中総理とエバリー会談についても、当然いろんな形で情報としてあるいは閣議等でそのやりとりが報告されると思うのでございますが。
この一連の会合をずっと見てみますと、まず七月の二十五日から四日間、箱根のいわゆる通商会議、その直後中曾根・エパリー会談、続いて田中・エバリー会談、八月八日と八月十五日経済閣僚協議会、これを経て八月十九日田中・キッシンジャー会談が行われまして、そしてハワイ会談を迎えている。こういう一連の動きが実はあるわけです。
○間淵政府委員 昭和四十七年七月二十九日、当時の中曾根通産大臣はエバリー氏の表敬訪問を受けております。その際に、その前の箱根会談で事務レベルで行われました、その結果出てまいりました集積回路あるいは電算機等の輸入の自由化の推進、それから米国産品の購入、アンチダンピング制度の改善などについて事務当局でその合意できたことの内容を確認いたしまして、それを推進するというような話し合いが行われております。
そしてその四日間の中ではエアバスは具体的な話には至らず、その後に控えている中曾根・エバリー会談、これに持ち越されているのですね、実際に。当時の新聞でこの点については報道されております。二十九日に中曾根・エバリー会談が行われ、その席上において航空機の輸入を積極的にやる、また航空機の作業部会を設けて進める、こういうかたい約束をいたしまして、積極的な取り組みを約束しているのです。
四十七年一月の佐藤・ニクソン会談、四十七年七月のエバリー・鶴見会談、四十七年八月の田中・キッシンジャー会談、四十七年八月の鶴見・インガソル会談、そして四十七年九月の田中・ニクソン会談。ここで目に見えた限りで三億二千万ドルのトライスターの輸入を総理大臣と大統領が決定をするのであります。 総理に要求をいたします。
第一に、トライスター導入に大きな役割りを果たしたと言われる四十七年八月の中曾根・エバリー会談の内容は疑惑の中心課題でありますが、これまた国民の前に明らかにされなければならない重要な事項であります。
○矢追秀彦君 それから、大臣がおられませんので、余り聞いても出てこないと思うのですけれども、中曽根当時通産大臣が、エバリー代表と会われて、それは表敬訪問ということに中曽根幹事長の弁明はなっておりますが、実際その中身を見ますと、かなり具体的なことが行われておるわけですね。
○説明員(間淵直三君) 昭和四十九年の七月二十九日、エバリーが中曽根通産大臣を表敬訪問いたしまして、そのときの話の内容についてはつぶさには記録がないものでございますから承知しておりませんです。
○増本委員 あなた方の説明は何にも疑惑がないように言っていますが、たとえば七月二十九日に中曽根・エバリー会談が開かれています。
○坂井委員 コーチャン氏が七月の二十九日に——七月二十九日といいますと、箱根会談を終えまして明くる日、エバリー特別顧問が通産省に中曽根通産大臣を訪ね、その直後田中前総理大臣に会っておる、その中曽根・エバリー会談の時期であります。コーチャン氏が実はこういう発言をしております。
○坂井委員 それでは続けますが、このエバリー・中曽根会談は九時半から約一時間二十分行われておりますが、終わりまして、エバリー氏は当時田中総理に会っております。十一時。エバリー氏はそこで田中前総理とどういう内容の話が交わされたか。少なくともエバリー氏が田中総理と会った、同日であります。十一時から約五十分間、そこに同席したのは鶴見審議官及びイソガソル駐日米大使であります。
他省庁の問題についてくちばしを入れないとおっしゃるけれども、四十七年に中曽根さんが通産大臣になられた直後に中曽根・エバリー会談がありました。その直後に、八月八日運輸省に対して、運輸大臣に対して、経済閣僚会議でエアバスの購入を検討してほしいということで運輸省にくちばしを入れています。あるいは防衛、大蔵の折衝の状況は知らなかったと言っても、両角次官は幹事会に出席をして防衛、大蔵の論争は熟知をしている。
そして七月二十五日には四日間にわたった箱根の日米会談、ここでははっきりエバリー代表が八項目の経済要求を出した。これはもう周知の事実です。こういう流れ。そしてそのころにコーチャン氏が田中総理と会談をしたのではないかという観測がいま濃厚になっている。そしてハワイ会談の前の八月十八日にはキッシンジャー氏が羽田に着いて、翌日軍用ヘリコプターで軽井沢の万平ホテルを訪れた。もちろん田中総理と会うためである。
そしてエバリー氏がアメリカから参りまして、箱根におきまして鶴見審議官相手にいたしまして会談が行われたことでございまして、何のためにやったかと申しますと、要するにアメリカ側の強い要請で日米間の貿易上のアンバランスというようなものは、できるだけこれを是正するということから、配慮することができるものはできるだけ配慮すべきであるという見地から、そういう会談が持たれ、その延長線上に鶴見・インガソル会談も持たれたというように
その後のエバリー・田中会談、これは七月二十九日です。このときに飛行機も含めて作業部会をやり、そこで具体的に作業を詰めていく、こういうことになっております。そのことは、コミュニケの第二の冒頭にありますように「箱根における会議以降、両国政府は、緊密に協力して箱根での会議の際に討議された具体的な短期措置の幾つかについてその数量化を試みる作業を行なってきた。」
こういうアメリカ政府側の考え方、これはその後七月二十五日から二十八日にエバリー通商特使が来で、日本側といろいろ話をいたします。そして、あるいは八月十九日にキッシンジャーが来て田中・キッシンジャー会談が行われました。
しかし、米国の通商法案の審議状況から見まして、これは先般エバリー特使が、フォード・スピーチに関連をして日曜日、月曜日とわれわれと討議をする機会を持ちましたが、エバリー特使によりましても、この通商法案は十一月末、おそくても十二月早々には通過させる、このような意向の表明がございまして、われわれとしてもそのようなことを期待しておりますし、米国の参加のめどがつくと思っております。
私といたしましては、フォード政権がこの政策を発表され、エバリー特使を日本に派遣して詳しく説明をいただいたことを多といたしております。その中でも、とりわけ落花生とか綿花とか米とかの作付制限を撤廃する、友好国に食糧の供給を行なうというようなことは、食糧供給国の責任を踏まえてとられた措置で高く評価しなければならぬと思っております。